「その晩谷口曹長と逃亡の計画を話し合いました。夕食に出たジャンピン(粟やトウモロコシの粉を油で揚げたもの)を食べたふりをして、飛行服の胸のポケットに入れ、そのままオンドルの上に寝ました。夜中私が先ず便所に起きたのですが、土間に寝ている中国兵は何も気づかなかったようでした。谷口曹長もすぐ出てきましたから、二人で土塀によじ登って外の道に飛び降りました。もう一つ部落を取り巻く土塀があるのですが、これが意外に高いのです。私が先ず谷口曹長の肩に乗って塀の上に上がり、手を差し伸べて彼を引揚げました。こうしてなんとか二つの土塀を越え、逃亡に成功しました。
畑の道から水のない川に出て歩いているときでした。ドーンと銃声がして急に騒がしい声が部落の方から聞こえてきたのです。どうやら我々が逃げたことがわかって捜索を始めたようでした。暗闇のなかを私たちは北極星をたよりに西へと歩いていました。しばらくすると、各部落から銃声が響き始めました。犬の鳴き声や馬の走る音も聞こえてきだしました。敵はどうも非常警戒をとったようです。あまり動くと却って危ないので、綿畑のなかに隠れるところを見つけて、夜になって行動することにしました。
西のほうに鉄道が通っていましたから、線路まで出れば必ず友軍にも連絡できるはずだし、たとえ軍法会議にかけられても、われわれのとった行動を報告すれば必ず分かってもらえるはずだ、と2人で励ましあいながら歩き続けました。ポケットに入れてきたジャンピンももうみんな食べてしまっていました。そうして歩いているところで、2人の百姓に出会ってしまいました。なにか話しかけてきましたが、分かるはずがありません。そのまま別れてしばらく行くと、さっきの連中が部落に到着したと思われるころ、ドーンと銃声が聞こえてきました。今度は隣の部落からも、また次の部落からもリレー式に銃声がしてきました。でも、夜でしたから我々は休むことなく西へ西へと歩き続けました。
空が白みはじめたころ、一つの部落を通りました。部落の壁には「皇軍万歳」などと書かれているので、この辺はもう遊撃地区に入ったと思いました。」
――遊撃地区というのはどういう区域なのですか。
「遊撃地区というのは、あるときは日本軍が入り、あるときは八路軍が入りで、両方の軍隊が入り込んでいて、百姓はどちら側の軍隊のいうことも聞くわけです。
さらに歩いていると、また2人連れの百姓に遭いました。彼らは手で食べるまねをしてみせたので、もうこの辺は日本軍のいうことを聞く地区であろうと判断しました。私たちは日本の軍隊が近くにいるかどうかが何よりも知りたいことでしたから、なんとかそれを聞き出そうとしました。紙と鉛筆を持ってこさせて、それに私が字を書くと、うなずいて日本軍が近くにいると言うのです。嬉しかったですね。あと一歩頑張れば友軍のところへ戻れると思うと、本当によかったと安心感もでてきました。」