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山下正男氏 第17回:30.捕虜になる〜31.「坦白」

30 捕虜になる

 人民解放軍は、太原を陥落させると、糾察隊が城内に残って、正規軍はその日のうちに南下していきました。糾察隊は、街のなかに潜んでいる国民党の残党を民衆とともに摘発する任務をもっていました。
 正規軍に代わって入ってきたのは、政府機構を新たに立ち上げる要員たちでした。太原解放と同時に、閻錫山時代の政府の公舎であった綏靖公署には、あらたに山西省人民政府の大表札が掲げられました。太原新市長はじめ政府各機関の責任者名まで公示されました。まさに一晩で変わってしまいましたが、すべてが2年ぐらい前から準備されていたそうです。「ローマは一日にして成らず」と言いますが、太原の人民政府は本当に一日でできてしまいました。

太原に入城する人民解放軍
 太原陥落の翌日、岩田清一と私たち数名は、楡次の解放軍敵軍工作部に連行され、ここで私たちは岩田と分離され、数日後、太原の戦犯管理収容所に護送されました。その後の岩田の消息についてはまったく分かりませんでした。
 陥落から3日後、今村方策司令は服毒自決しました。彼は自決する前に、側近に、「私は閣下(第1軍司令官・澄田賚四郎)に騙された」と漏らしたそうです。また、服毒自決を聞いて駆けつけた部下たちに向かって、「皆はこれで日本へ帰れることになったし、私も責任が終った。しかし、大陸で戦死した同志を残して私は帰れない。――私は薬を飲んだので手を組ませてくれ」と語って合掌したといいます。
 なお、閻錫山が台湾に逃げ延びた後、太原で殉職した部下たちへの罪滅ぼしのために殉国烈士記念碑「太原五百完人成仁堂」を作ってその名を刻みます。その中に「晋樹徳」とありますが、これは今村方策の中国名です。

 収容所に入ってから数日後、所長の岳大隊長から、「会いたいという人が来ている」と呼ばれ、大隊長室に出頭したところ、そこにいる人物を見て本当にびっくりしました。閻錫山軍の親訓団にいたとき、私が教えていた若い国民党の軍士(下士官)であった李岐山がそこに立っていたのです。李君は、美男子で頭脳明晰、訓練の成績は抜群、命令にはよく従う模範軍士でした。私だけではなく教官たちはみんな彼を可愛がっていました。岳大隊長の話によると、李君は、実は解放軍が閻錫山軍の教育隊のなかへ送り込んだ共産党の優秀な工作員だったのです。
 李君は懐かしそうに、「教官、お元気そうですね。これからはよく学習して思想改造に努力してください」と笑顔で私に手を差し伸べました。このときは、まだ彼の言ったことの意味はよく解りませんでしたが、驚きと懐かしさで固く彼の手を握り返しました。その後彼はきっと優れた幹部になったことでしょう。そう願わずにはいられません。私には忘れられない思い出の一つです。

 太原の収容所では、主に壊れた城壁の修理や市街地の道路舗装工事、砂利掘りなどの労働をさせられました。
 そこに1年半ほどいまして、それから河北省永年にある華北軍区訓練所に移されました。いわゆる戦犯管理訓練所の一つですが、ここでは労働以外に学習が入ってきました。

 労働は、建物の改修・建築や農作業が主な仕事でした。
 軍隊は色々な人間が集まっていますので、大工やトビの仕事をやってきた者もいれば百姓だった者もいます。建設や農業の仕事になると、そうした人たちが力を発揮するのですね。
 建物といっても、廟の講堂の改装工事や大集会場の建設でしたが、私はそのような仕事の経験がまったくありません。大工やトビ出身の連中がやるのを見ていると、彼らは高いところでも両手を使ってやっているのです。
 私は、彼らが仕事をするための足場造りをやりました。竹が豊富にありましたから、竹を使って足場を造るのですが、足場も段々上の方に行くと、恐くて足が震えてしまいました。その恐怖が残っていて、休憩で横になっても、目がぐるぐる回って困りました。
 水田の除草作業は、稲と稗(ヒエ)の区別ができなければ作業ができないのですが、私などにはまったく区別ができません。休憩時間に、農村出身の連中が稲と稗の見分け方を教えてくれました。分蘖(ぶんけつ)する仕方が、稲のばあいと稗のばあいは違うのですね。何もかも初めて知ることばかりでした。
 華北の地には綿畑がありましたので、収穫期になると綿を袋詰めして運びました。1袋が60キロもあるので、これはへこたれました。
 湖と言っていいほど大きな池でガマを刈りましたが、長い鎌で茎の根元から切りますと、軽いものですから水の上に浮いてしまうのです。それを集めて括りつけると、その上に乗っても沈みません。これを干すとふわふわと柔らかくなります。それをアンペラの下に敷くと本当に暖かでした。そんな作業をやっていました。


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