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3 第二国民兵役

 ところで、1945年8月13日に第二国民兵役で召集されたんです。第二国民兵役というのは厳密なことはわかりませんが、兵役には甲種合格、乙種合格、丙種合格と言うのがあって、それまで丙種合格の人は兵役の義務はなかった。それと二十歳未満の青年ですね。そういうのは兵役に行く必要がなかった。戦争が激しくなってからは、眼が片方なくてもいいじゃないかと皆召集されたみたいですね。それを第二国民兵役と言ったらしい。僕なんか召集されたのは17歳と1ヶ月ですからね。年齢に達していないけど召集されたわけです。もうほとんど男はいなくなっていましたから。通化市内の満州派遣第15236部隊に入隊しました。部隊の数字は出身の連隊名を出さないで数字で表したんだろうと思います。

 ところが8月18日に、敗戦のために兵は全員召集解除、たった5日間の兵隊だったわけです。わたしは予備役の兵隊と一緒だった――予備役というのは昔軍隊にいて、当時はすでに会社ではたらいていた人たちですが――そういうおじさんばっかりだったので、かわいがられました。訓練もなし。訓練といえば訓練するだけの武器もないんです。短剣もくれないんです。小銃もなし。歩兵砲中隊だったんですが、ちっちゃな歩兵砲が2門おいてあっただけですよ。人間ばかりたくさんいてね。戦闘機にしろ、戦車にしろみな南方に送ってしまってない。だからわたしら若いもんは給仕みたいなものです。30、40ぐらいの年のいった人が多かったですから、やかましいことは言わなかったので、気楽でしたね。

 15日の玉音放送を聴きました。なにを言っているかよくわからなかったけど、ただ負けたんだということだけは分かって、さあ帰れるぞと喜んでいるのもいるし、怒るのもいましたけど、わたしはこんなどうしようもない軍隊、はやくやめて帰りたかったです。ところがあくる16日の晩になって連隊長が明日出動する、身の回りの物をつめこめと言って、キャンバスで作った背負い袋が支給された。もし行ってたらソ連軍にやられたでしょうね。

満洲平原に押し寄せたソ連の戦車部隊(太平洋戦争研究会著『図説 満洲帝国』河出書房、より転載)
 ところがあくる日になって連隊長は下士官に殺されたという話です。戦争が終わってあきらめろというのに、連隊長の分際でけしからんと下士官が射殺したらしい。行ったら犬死にですからね。

 現役兵は何処へ行ったのかわかりませんが、ソ連に送られたんでしょう。召集兵は早く帰れと家族のもとに帰されました。シベリアに行ったら、まあ私など要領の悪い方だから生きていなかったと思いますが。ソ連参戦と言っても影響はそんなぐらいです。一人マンドリン銃かかえて来たのが腕時計かっぱらったのを見たけれど。

  その時分、八路軍の地下工作員だいぶ入っていました。それがおさえていたんじゃないかと思います。ソ連は積極的には中共を援助していなかったようです。トラックとかは入っていましたけど武器はほとんど関係なかったようです。
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