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5 帰国

――日本に帰られてからの生活は大変だったのではないですか。

 帰ってきたときは、もう34歳でしたが、母親は、僕の話を聞いて、親もできなかったような面倒をみてくれた中国は本当にありがたいと感謝していました。お前は、なにか中国に恩返しすることを考えなさい、と言われた。
 それでこちらに帰ってきて最初の仕事は、極東書店から『人民中国』『中国画報』を送ってもらい、これをあちこちの本屋に置いてもらうというようなことをやりました。
 そのうち勧めてくれる人があり、朝日会館に「やまとみんげい」という店があって、そこに中国の物産を置いてもらうことになったんです。そこへ1週間、1ヶ月と置いてみたら、だんだん人気が出て売れるようになってきたんです。
 そんなわけで、朝日会館に中国物産の店ができたんですよ。

 三条河原町の朝日会館にある柳さんのお店は、澄子夫人との二人三脚で営業を続けてきたが、いまは長女のさおりさんが引き継いでいる。以下は澄子夫人の談話。

 日本と中国の国交が回復し、中国からたくさんの留学生が来日するようになると、柳は進んで彼らの保証人をひきうけ、生活費を助けるために中国物産の店でアルバイトをさせました。これまでそうして世話をした中国人留学生は数え切れません。
 今でも私たち家族の間で語り草となっているのは、日本に留学してきた画家王成喜さんの梅花を描いた大作「香遠図」を日本の国会議事堂に掲げるために、柳が奮闘したことす。ちょうど中曽根内閣のころでしたが、柳はたびたび上京しては国会で中曽根首相をはじめ、政府の要人に面会し、日中文化交流の一環としてこの絵を国会に飾ってほしいと申し入れました。この請願がついに実現し、「香遠図」は国会議事堂の貴賓室に掲げられることになったのです。除幕式には、当時の衆議院議長原健三郎氏をはじめ多くの政界の要人が出席されました。

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