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橋村武司氏 第6回 8.鶴崗炭鉱〜9.鶴崗炭鉱(続)

8 鶴崗炭鉱

 鶴崗炭鉱に来て、たしかに米の飯が食べられました。食べ物が豊富で食べ放題でした。ご承知のように、共産主義社会では労働者が主人公ですから、待遇は最高で、なかでも炭鉱夫のような激しい労働に従事する者は特に優遇されたようです。
 それから、賃金の平等も徹底していました。僕らは15人ぐらいのグループで働いていましたが、仕事の内容に関係なく賃金は一律でした。
 炭鉱夫は私にとっては初体験の仕事ですから、まあ面白いといえば面白いですが、危険と隣りあわせの仕事でいつも恐怖感が伴いました。鶴崗炭鉱は斜鉱なので、ワイアで引張ったトロッコで入っていくのですが、これで入っていくときには膝ががたがた震えていました。
 一番底まで入って行ったことはなかったですが、なんでも底までは2千メートルあり、先はもうソ連領であるということでした。私は戦闘の体験はありませんが、死と直面したときの感情をこのとき味わって、兵隊さんも同じだろうなと思いました。
 入坑した数日は新人教育でしたが、石炭を採ってしまった後の廃坑で後片付けをしながら、炭鉱に慣れ、トロッコを運ぶ要領を覚えるのが目的でした。
鶴崗炭鉱当時の橋村氏(17歳)
 入坑3日目、この新人教育中に、私にとっては生涯忘れられない事故が起こりました。二人一組で石を運んでいたときのこと、途中で相棒が何の声もかけず手を放してしまいました。全加重が私にかかり、私は重さに耐えられず、石を落としてしまいました。このとき咄嗟に手を引いたつもりでしたが、手袋を脱いでみると、左手人差指の爪はなく、骨が露出していました。人差指の先がトロッコのレールと石の間に挟まれたようでした。一瞬の出来事でしたが、神経をやられてしまったのか、手先はしびれていましたが、痛さはまったくありませんでした。
 軍隊上がりのリーダーが素早くタオルで止血してくれ、手首の動脈を押さえて、そのまま病院に直行しました。医師の判断では、坑内には毒ガスがあって傷が腐敗するので、すぐ切断しなければならないということでした。寝台に寝かされて顔に白い布を掛けられ、手術はすぐに始まりました。このとき麻酔を打たれた記憶はありません。のこぎりで骨をごりごりと切る音が聞えましたが、痛みはほとんど感じませんでした。そばで日本人の看護婦さんが「可哀そうに、可哀そうに」と言って泣いていました。
 それにしても、一緒に石を運んだ相棒は、手を放すまえに何かの前兆があった筈ですから、どうして一声掛けてくれなかったのかと、あとあとまで恨めしく思いました。その人は私より2,3歳上でしたが、痩せていて見るからに非力な感じのする人でした。私はこの出来事を体験して、パートナーを選ぶということは大事だなあと思うようになりました。
 しかしこの事故に遭った直後の私は、一面“助かった! これで入坑しなくてもいい”と思ったことも事実です。また、勲章でももらったように、“これで一人前になれた”と思ったものでした。
 それから50年以上経ちましたが、指先を失ったことで、私はなにか身体のバランスが少し悪いのではないかという感じがしています。また、指が使えないことで、非常に不便を感じることがあります。卑近な例がパソコンです。ブラインド・タッチをやりたいのですが、それができません。楽器類はすべてダメです。怪我をする前はギターを弾きましたが、それができなくなったことはショックでした。
 今でも不思議なのは、指の先が痛いのです。冬の寒いときとか梅雨時などに、無いはずの指先が痛むのですね。
 鶴崗炭鉱で働いている人たちの間で、「青年突撃隊」という組織ができていました。これは政治指導員によって組織されていたようですが、仕事の上でも彼ら突撃隊のメンバーが率先してリードしていました。私より3つ4つ上の人たちでしたが、私も早く彼らのようになりたいものだと思いました。怪我をして傷の癒えるのを待っている間は、佐賀県出身で突撃隊員の松尾さんにお世話になりました。
 私が一番目標にしていたのは、朝倉さんという義勇隊出身の突撃隊員でした。無口な人でしたが、行動果敢な人で、別のグループのリーダーでした。この人は、後年落盤事故で亡くなられたということでした。
 当初私は、突撃隊というのはてっきり思想教育の仕組みだと思っていましたが、そうではなかったです。たとえば、映画をいっしょに見に行ったり、食べ物をご馳走してもらったり、といったようなことが印象にのこっていて、何かを吹き込まれたというような記憶はあまりありませんですね。突撃隊のリーダーは大塚有章さんでしたが、この頃は毛利さんと言っていました。

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