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昭和20年8月9日のソ連軍の侵攻で、満洲にいた日本人の運命は一転した。ソ連軍の軍使ヤマノフ少将が大連の周水子飛行場に到着したのは8月22日。それから3日後の8月25日、戦車部隊の進駐がはじまった。ソ連軍進駐直後の大連の情況について、満蒙同胞援護会編『満蒙終戦史』は次のように描いている。
「8月25日に戦車部隊を主力とするソ連軍の進駐とともに、ソ連兵の掠奪・暴行と、これに雷同する中国人暴民の蠢動は日とともに激化した。すなわち、軍倉庫・会社・個人倉庫・重要施設の破壊、物資の略奪は漸次一般日本人住宅内に侵入し、掠奪・暴行にまで発展し、日本側警察の治安維持に対する懸命の努力にもかかわらず、大連市および州内各地は無警察状態に陥った。9月11日に至り、ソ連軍司令官が更迭して、コズロフ中将が新たに司令官に就任して「暴徒は銃殺する」「八路軍と称するものはすべて偽八路軍である」と発表、強硬な治安対策を断行したため、事態はようやく小康を保つに至った。」
ここの「八路軍と称するものはすべて偽八路軍である」には、注釈が必要かもしれない。大連には終戦と同時に、山東半島から八路軍の工作隊が入り込んできて、中国人労働者のなかに混じって活動をはじめていた。彼らは中共の方針で、東北地区(満洲)では八路軍であることを公然と表明しなかったが、占領しているソ連軍はそれと知りながら彼らの存在を黙認していた。ところが、自らを「八路軍」と名乗って日本人に武器提出を求めたり、日本警察を襲撃したり、掠奪・暴行を働く手合いが横行しはじめた。これらは、みな“偽の八路軍”であった。治安を預かるソ連軍としては、市民生活を混乱させるこうした連中を取り締まらざるをえない情況になっていたのである。
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