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山東半島に渡った満鉄技術者たち 第5回

4 阿部良之助からの手紙

 阿部良之助の失踪については、誰一人真相を語る者はなかったが、中試では所長の丸沢常哉が所員を集めての訓辞で激怒した様子を、井口俊夫が伝えている。

 「丸沢所長は烈火の如く憤り、一日、所員を集めて、彼を国辱のやからと呼び、痛罵の言葉を繰り返した。しかし、本人の行方については、何等の消息をも語りえず、一同はただ唖然としているばかりで、動乱を尻目に、鮮やかな失踪であった。」(「ダモーイ」第4回)

 もっとも、阿部失踪事件に対する丸沢の反応については、所長秘書をしていた元燃料課の高嶋四郎が、後年次のようなエピソードを紹介している。

 「(阿部の失踪が明らかになった)その日、顧問室で私は先生の苦衷を察して、『大変なことになりました』と話すと、先生は平素と変わらぬ温顔で、『皆生活が大変だから仕方がないよ』と答えられました。
 多分お怒りの言葉が返ってくるものと予想していた私には驚きでしたが、翌日全所員を集めての訓辞の席では、壇上から先生は激しい口調で阿部先生の行動を非難されたので、二度吃驚しました。」(高嶋四郎「丸沢先生を偲ぶ」『満鉄中試会会報』第15号、1989年)

 
 中試の所員たちの山東行きにおいて、リーダー的役割を担ったのは井口俊夫である。井口は有機化学課の主任であった。中試の組織では、各課の中はいくつかの研究室に分かれていて、それぞれの研究室には一人の主任がいた。井口は、「一般有機化学研究室」の主任であったが、昭和20年の所員名簿によると、彼の研究室には有機化学課ではもっとも多い25名のスタッフがいた。

 
 すでに何回か井口の書いた「ダモーイ」を引用してきたが、これは、彼が勤務していた太陽油脂株式会社の社内報『太陽』に、昭和40年から44年まで55回にわたって連載したものである(「ダモーイ」とはロシア語で「帰国」の意味)。今回、太陽油脂株式会社のご厚意で全文を入手することができた。(なお、太陽油脂では、当方への資料提供にあたって、井口氏親族にその旨連絡しようとされたが、目下のところ連絡がとれないとのことである。)

 
 ところで、阿部と井口とは、どのような関係であったのか。先ずは、井口が語っているところを紹介しておこう。
   井口は、終戦後進駐してきたソ連軍に、黒石礁の住居を立ち退かされ、満鉄の独身寮である伏見寮に越してきた。阿部もまた星ヶ浦の邸宅を追われて伏見寮に移り住んで来たため、二人は同じ寮で家族付き合いまでする間柄になったという。つまり、終戦後になって急速に親しい間柄になったようである。因みに、二人の年齢を見てみると、阿部は明治31年の生まれで、この年48歳、井口は明治40年の生まれで39歳である。

 
 

阿部が失踪する1月前の3月中旬、井口は阿部から太華公司の呉宗信を紹介されたが、そのとき呉から山東の話などはまったく出なかったという。呉から出たのは、大連に不足しているマッチの製造をやってもらえないかという話で、井口はそれを承諾した。

 阿部が失踪して2月あまりたった6月下旬のある日曜日、阿部から手紙が届く。このときのことを、井口は次のように語っている。

 「宛名は私と高木君その他一同となっており、封筒に切手や消印のないのは、誰かに託して届けて来たものであろう。内容は、私たちの夢想だもしなかったことで、読んで行くに従って、私は事の意外と重大さに息を呑んだ。
 『私及び家族一同は、目下山東省の一角、芝罘で快適な生活をやっている。ここはフランス人によって開発された港町で、中国とはいえ西欧の匂いの漂った、美しい都会である。先日中共の要人と話し合い、港の見える小高い丘の上に、フランス風の研究所を建設し、日中合作の世界的な研究機関をつくり上げる計画を立てた。ついては、中央試験所の有能メンバーを出来るだけ沢山集めて、当地へ渡来してきて欲しい。云々』
  といった意味のことが、関屋さん特有の名文達筆で書かれており、最後に、彼の希望する五十数名の研究者、技術者の氏名が書きつらねてあった。」(「ダモーイ」第5回)

 「関屋」は阿部のことである。阿部は山東へ行って以後、名前を変えて「関谷直司」と名乗っていた。(「ダモーイ」は、55回の連載中、阿部の姓を「関屋」で通している。関谷の「谷」がすべて「屋」となっているが、そのまま引用する。)「高木」は高木智雄で、前章で述べたごとく、燃料課の幹部として事前に阿部から山東行きを相談された一人である。
 なお、この手紙にあったという「五十数名の研究者、技術者」は、阿部の著書『招かれざる国賓』では69名となっている。


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