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山東半島に渡った満鉄技術者たち 第12回

11 大連に送り帰される人たち

 中国国内の政治情況が明らかになってみると、日本人技術者たちの山東渡航は、マーシャルによる調停で辛うじて和平が保たれていたときに山東行きの話が本決まりし、いざ出発となったときには、すでに山東にも戦禍が及び始めていたという、彼らにとっては不運としか言いようのないタイミングの悪さである。

 到着と同時に、科学研究所設立が無期延期になったことを告げられた彼らは、玲瓏金鉱でなすことなく過ごすのであるが、大連から大勢の仲間を呼び寄せた責任を負っている阿部良之助は、今後の仕事や待遇について中共側と交渉を続けていた。

 阿部は、自分の家族を密航船で日本に帰すと約束しながら、一向に約束を果たさない中共側に強い不信感を抱いていたが、そのホコ先は先ずこのプロジェクトの責任者である陳博士に向けられる。
 127名の家族連れがやって来てからというもの、中国側の対応が急に冷たくなったらしい。阿部は、これはどうも陳博士が、「優秀なる日本人技術者というふれこみで、中には大連の喰いつめ者が入って居る」と中国人たちに言い触らしているにちがいないと疑う。

 だが、陳博士といがみ合っているわけにはいかない。やってきた日本人それぞれに仕事を提供してもらわなければならないのである。結局、日本人技術者一人一人が陳博士と面会して、その専門分野と本人の希望するところを相談することになった。
 来る日も来る日も、陳博士と日本人との面会が続いた。阿部はこの面会にもまた陳博士の悪意を嗅ぎとるのである。

 「会談の内容を聴取すると、陳博士の意図と云うべき共通なる傾向が窺知される。即ち、日本人技術団の団結をこわし、関谷と他の日本人間とのつながりを、たち切ると云う事である。」(『招かれざる国賓』99頁)

 

全員と面会を終えたうえで、中国側としては、8名の技術者とその家族は大連に帰ってもらうことにしたと通告してきた。そのうちの4名は、旅順の工科大学を1年前に卒業したばかりの若い技術者たちであった。阿部は懸命になって彼らを弁護して、「これらの人々は仕事の最前線に立って働くには最も適材ばかりである」と主張した。しかし陳は、「この程度の人々ならば、中国に沢山居るから、不要である」と言う。しまいには、「もし、強いて残りたいならば採鉱夫として働いてもらう」とまで言いだした。阿部は怒りと皮肉をこめてこう記す。

 「日本の最高学府を出た技術者に苦力(クーリー)を強制したのには、私は驚いてしまった。化学方程式もよく理解出来ない中共の化学者達の実力を識って居るだけに、私は、陳博士の化学に対する認識が少々疑わしくなってしまった。」(同上書、100頁)

 8月の終わりごろ、8名の技術者たちを大連に送り返す送別会が開かれ、広場にアンペラを敷いて日本人だけで別れを惜しんだ。去る者も残る者もただ涙した、と阿部は書いている。

 この8名のなかには、石黒正の妹・忍の嫁ぎ先である庄司一家も含まれていた。忍の夫は中国語が達者であったが、技術者ではなかったらしい。石黒の母にとっては、赤ん坊を抱えた娘・忍のことがとりわけ気掛かりであった。石黒夫人の回想記を見てみよう。


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