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18 莱陽における会談
 
 莱陽政府は国府軍の爆撃を受けるので、前に阿部が訪ねた元の場所から少し離れたところに疎開していた。阿部と井口は、行政公署の敷地内にある招待所に案内され、そこでたいへんな歓待を受けた。范処長が主催し、高経理、張通訳を交えての晩餐は、豪華なものであった。最高の老酒も出され、歓談に花が咲いて、第一日目は終った。

 阿部、井口ともに、范処長に対して、中共の大幹部に多い、たいへん穏やかで人格者といった好印象をもったようである。2日目の会見で、その范処長が先ず口を切った。

 

 「ご承知のような内戦で、日本の皆さんにたいへんご迷惑をかけ、申し訳なく思っております。然し、今後は待遇その他について、出来るだけのことはする積もりですから、どうか、帰国の意志だけは思い止まって下さい。」(「ダモーイ」13回)

 これに対し、阿部が発言した。

 「今回帰国の希望を表明したのは、そういう待遇改善を最終目標とする敵本主義(注)ではありません。然し、王家村の生活は、中共に招聘された技術者として想像もしていないような悲惨なものでありました。
(注)「敵本主義」とは、真の目的を隠し、ほかに目的があるように見せかけて行動するやりかた。「敵は本能寺にあり」からの造語である。
 公司は月給を支払いませんでした。家族の食事は、ピンズ(トウモロコシのパン)に一杯ないし半杯のお汁だけでありました。これでは栄養障害を起こす怖れがありましたが、月給がないのでどうにもなりませんでした。
 オンドルにたく草は、最低必要量の半分にも満たないものでした。その為、私は今もなお微熱と痔に苦しめられています。
 私だけでなく、日本人全体は、私以上の苦しみをなめて参りました。それで、10万円か、せめて5万円貸していただき、正月を迎えようとしました。然し、高経理はこの日本人の最後の願いをさえ、御否定になりました。」(『招かれざる国賓』150〜151頁)

 范処長は、驚いて聞いていたが、阿部が話し終わると、高経理に向って、今の話は本当かと尋ねた。阿部によると、「高経理のしょげようは、まるで猫の前の鼠のようであった」とある。
 しかし、同じ場面を描いた井口の「ダモーイ」によると、高経理は憤然とした面持ちで、口を差し挟んできたという。

 「若い高慢な高経理が、小肥りのからだを乗り出して、
 『あなた方は解放地区の同志たちが、あなた方に劣らぬ苦しい生活をしていることを、もうご存知のはずでしょう。』
 私はすかさず答えた。
 『そのとおりです。ですからこそ、もうそれ以上内戦下にある貴国にご迷惑をかけたくないのです。一日も早く帰国させて下さい』
 范さんが口を挟んで、高経理に“余計なことを言うな”というような意味のことを叫んだ。高経理は憎悪に満ちた目で、私をにらみつけたが、この仇を後に私が取られようとは、夢にも思わなかった。」(「ダモーイ」第13回)

 午前中一杯、范処長はくり返し留まってほしいと言い、阿部と井口は帰国を主張して、議論は堂々巡りの観を呈した。『招かれざる国賓』からその部分を引こう。

 「『解放地区の日本人は日本に帰る自由がありますか?』
 『勿論です。あなた方日本人には、その自由があります。』
 私は立ち上がった。そして范さんに握手を求めた。
 『では、范さん、これで左様ならを致しましょう』
 一瞬間、范さんの顔は硬直した。然し、直ぐ元の表情に復して、彼は諄々とむしろ懇願する様であった。」(同上書、151頁)

 それにしても、中共側がこれほどまでに日本への帰国要求を拒否し、山東に留まってほしいと要求するのは、どうしてなのであろうか。内戦のため船で日本まで送り届けることが出来ない、ということがその理由ではなさそうである。やはり、中共側としては、内戦終結後における日本人技術者の協力に期待していたと見るべきであろう。

 范処長は、これは重要な問題であるから、自分独りで決めることができない、曹満之主任と相談しなければならないが、彼が出張中であるため、帰るまで待っていただきたい、ということで、この話は中断となった。范処長は、ともかく一度林家村へ出向いて、日本人の皆さんと膝を交えてじっくり懇談したいと言った。

 ところで、ここまで一体となって中共側と対応してきた阿部と井口であったが、ここへ来て、井口はちょっと阿部に対して距離を持ち始めたようである。井口の感想を聞こう。

 「関屋さんが一寸の妥協の余地もなく、待遇改善にも耳を傾けず、ただ帰国のみを主張するのは、何か原因があるのではないか。大連の太華公司の呉宗信君と、何か密約があったのだろうか? あるいは女房思いの彼が、奥さんとの確い約束に制約されているのではないか? 要するに、待遇改善の確約が出来れば、1年や2年中共に止まることにしても、日本人達全員は賛成するのではないか? しかも、その方が安全な行き方ではないだろうか? 等々考え込んでいる内に日は過ぎて、2月7日の早朝莱陽を出発して帰路につくこととなった。」(「ダモーイ」第13回)

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