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25 帰国を断念
 
 宮と皓夫が出発したのは、3月25日であった。その2日前に出発した河野の方はどうしていたか。
  25日の夕方、河野は煙台に住む日本人の渡辺婆さんのところを訪ねた。そこから「聯合国救済総署」に行って、実情を訴えたところ、係りの中国人は、中共政府が日本人技術者をいじめるなどということは絶対にありえない、お前は嘘を言っているのだと言い、英語で書いた手紙を見せたところ、その中国人は手紙を床に叩きつけて憤ったという。まったく取り付く島もない状態であった。前に、笠原が会ったという中国人は、すでに青島に行ってしまって居なくなっていた。河野は悲観して、公安局に自首した。

 27日、宮と皓夫は煙台に着いたが、宮は彼の親戚に泊まり、皓夫を一人で保安楼に宿泊させた。皓夫はすぐに渡辺婆さんのところを訪ねた。ここで皓夫は、婆さんから、河野の一部始終を聞いた。
 それでも、皓夫は翌日「聯合国救済総署」を訪ねた。若い中国人が応対に出たので、23名の日本人の窮状を訴えて救済を頼んだ。ところが、「一昨日もお前のような日本人が救済を頼んできた。大嘘つき奴が。中共政府が日本人の技術者をいじめるなどと云うことは絶対にありえない。お前等はなにか悪いことをしたのだろう」といって、放り出されてしまった。

 皓夫は傷心の態で、3月31日、宮といっしょに南花カン村に帰ってきた。皓夫から報告を聞いたみんなは、これで日本に帰るという希望も期待も、一切が消えてしまったと悟った。阿部は、かくして高経理に対し詫び状を認めるのである。

 「河野脱出は、全部関谷の責任であります。徒に、勤労を怠り、反動国家日本に帰ろうとした事は、私の思想の至らない為でありました。帰ろうにも、帰るべき一艘の船もない現実に直面して、私の無謀であった事にやっと気がつきました。中国開放地区にとどまり、中国科学技術の躍進の為に、一意専心御努力申上げたいと思います。どうか、今までの御無礼は御海容下さって、復職の儀御許可下さる様御願いします」(『招かれざる国賓』213〜214頁)

 阿部は、この手紙を高経理に書く際、彼の妻と小山に3回書き直しを命ぜられたと語っている。そして、若い連中も思い思いに復職嘆願書を書いて、宮に託したが、宮は、それを携えて意気揚々として帰って行った。

 阿部たち日本人側の全面降伏で、これで一件落着となるはずのところ、4月19日、彼らは突然取調べを受けることになる。この日、玲瓏金鉱分析室の荏(ジン)主任が高経理の代理として、宮および周通訳を従えてやってきた。
 「関谷先生は、反動派であるという密告があったので、取り調べる」という荏主任の宣告である。荏は2つの手紙を取り出して見せた。
 1つは、老川口の書いたもの、もう1つは、井口、笠原、老川口連名のものである。
 その手紙の内容は、阿部によれば、「関谷は、烈しい反動的思想の持主である。彼が、今日本へ帰るのは、日本共産党をたたきつぶす為である」という結論が書き綴られていた、ということである。
 老川口の阿部密告は2度目だそうだが、このなかに井口が入っていることで、当局は事の重大性に驚き、取り調べることになったのではないかと、阿部は推察している。
 阿部にとっても、井口がこのなかに入っていることが、かなりのショックであった。

 「この血盟の同志から、反動派として、密告されようとは、今の今まで思わなかった。密告に重きを置くのが、この国の習性である。殊に、反共産主義の罪は、中共に於いては、死刑以上の刑に処せらるべき重罪である。
 『井口! あれ程の男でも血迷ったか』と思ったら、私は、うなだれてしまった。
 『ブルータス! お前もか!』
 と叫んで、暗殺の刃に倒れたシーザーの言葉が、フト私の頭をかすめた。」(同上書、217頁)

 この日は大した取り調べもなく終ったが、22日に再びやってきた。みんな家から出るようにということである。阿部の家内は、家宅捜索であることにいち早く気付いた。そこで、阿部は英文の手紙の原稿を急いで妻に渡した。英文の手紙は、結局娘の桂子がお腹のなかに飲み下してしまった。
 検査は、所持している貴金属を書き出させたり、米やメリケン粉の中にまで手を突っ込んで入念に行われたが、彼らの目的とするものは、見つからなかった。

 一行が引き上げたあと、村長がやってきてこう告げた。
 「『あぶなかったですね。今日は関谷を投獄するんだと云って、民兵を15名私の家に待機させて居りましたよ。然し、何も証拠物件が見つからないので、どうにもならず、引き上げましたよ。上海、青島の反動派に対する連絡の他に、関谷先生が、玲瓏から金塊を盗んで来て居るという密告があったのです』
 それでやっとわかった。何か薬品類を、捜し廻る風があった事が。」

 その夜、阿部は独身者たちから、初めて井口の誤解の原因を聞いた。彼らは、阿部が林家村における井口の監禁を救わなかったことを、井口一家が大変恨んでいると語った。それを聞いて、阿部はこう書いている。

 「大義親を滅せねばならないこの時に、小さな仁義にとらわれて居る井口君がひどく可愛想になってしまった。
  又『関谷先生は、4万5千円しか、金を持っていないなんて、真赤な嘘だ』と、呉家村の連中は、考えて居たらしい。4万5千円しかない癖に、脱出者達へ、ポンと2万円の餞別を贈った私の大尽気取りが、誤解の原因だったのだろう。」(同上書、219頁)

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