logo

オーラルヒストリーとは お知らせ 「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について インタビューリスト 関連資料

インタビューリスト

 46年8月末から山東の農村の村を転々とした石黒たちの一行は、それまでの大連での生活と比較すれば原始的としか言いようのない中国の農村生活をはじめて体験することになった。石黒恵智『北斗星下の流浪』によれば、技術者である夫たちには、仕事らしい仕事はなかなか回って来なかったが、大半が家族持ちであるため、家族の中に病人が出たり子供の教育問題が生じたりしていろいろ大変であったようだ。
  そんななかでも、1週間か10日に1度近在の村で開かれるガンジー(趕集)と呼ばれる市に出掛けて買物をしてくることは、夫人や子供たちにとっては農村生活のなかでの唯一の楽しみであった。彼らはまた、このころ中共が全国的に推進し始めた農村の土地改革のなかで、元地主たちが徹底的に糾弾される激しい場面を垣間見たりした。

 内戦は激化して行き、国民党軍の攻撃も山東半島の先の方へと及んでくる。46年11月には招遠から4,50キロのところまで国民党軍が接近してきて、玲瓏金鉱も危なくなってきた。ここにいる人たちは全員安全な所へ移動しなければならないと告げられる。
 しかし、日本人技術者たちの誰もが、他国の内戦のために逃げ回るなんてもう御免被りたいと心のなかで思っていた。そこで衆議一決、女子供も多く移動は困難であるから、このまま此処に残してほしいと訴えたが、中共はそのような訴えを認めることはなかった。

 彼らは指定された村に徒歩で移動した。そこは、玲瓏金鉱よりもっと生活の不便な田舎の村であった。内戦は激しさを増す一方で、防戦に追われる中共側は物資も不足し、財政的にも逼迫してきて、日本人の給与も出せなくなった。彼らは提供される食糧の不足をみな給与から補っていたのであるが、それも出来なくなってしまった。ここに至って、日本人の不満は頂点に達し、「もはや中国に留まっていても意味はない。一刻も早く日本に帰してほしい」と帰国要求を突きつける事態になったのである。
 中共側としては、周辺の海上を国民党軍に押さえられている状況下で、日本人を無事日本に送り届けるなどということは到底不可能であり、また、内戦に勝利した暁には彼等日本人技術者になんとしても協力してもらいたいと考えていた。中共側幹部たちは、ともかく帰国だけは思い止まってほしいと懇願した。

 しかし、阿部たちは帰国の要求を取り下げなかった。特に日本人技術団の代表である阿部と井口が、帰国要求の急先鋒になったことは、中共側にとっても困った事態であった。莱陽にある中共政府が彼ら二人に莱陽への出頭を命じたのは、年が明けた1947年2月初めである。二人は莱陽の招待所でたいへんな歓待を受け、中共幹部から帰国の意志を翻すよう懇願された。しかし、二人はついに首を縦に振らなかった。

 それから1週間ほどして、中共側は強い態度に出てきた。残留を希望する者には、滞っている給与の支給を復活したうえ米の現物支給もするが、どうしても日本に帰国するという者に対しては、給与は一切支払わないうえ、運送費、食費、宿泊費等すべての費用は自分で負担すべし、という厳しい条件を突きつけてきたのであった。

 中共側が提示したこの条件を見て、帰国を断念した人たちは、中試出身者では、大槻茂寿、緑川林造、高木智雄、岡田寛二、古賀政治、亥川繁好、西田房雄、中試以外で太田がいた。

 この苛酷な条件を提示されても断固帰国を表明した人たちは、中試出身者では阿部良之助、井口俊夫、笠原義雄、鐘ヶ江重夫、藤田英夫、中試以外では元軍人の松本敬信、旅順工科大学生であった河野がいた。このグループは、阿部、井口、笠原の家族を含めると14名になる。

 中共側と日本人技術者の折衝のなかで、また一つ事件が起る。井口が酒に酔った勢いで相手側幹部の一人の肩に触れたことが重大視され、井口は数日間監禁されることになったのである。ところが、阿部たちはその救済のために動かなかっただけでなく、彼が監禁されている間に別の村へ向けて出発してしまっていた。これが井口と阿部の間に感情的な対立を生むことになる。

 さて、中共側から見放された帰国派は、中共の指定した村に移動させられるが、そこは日中戦争中日本軍によってもっとも酷い焼き討ちに遭った村であった。焼け残った家は3軒しかなかったという。日本人に対する憎悪の念がなお燃えたぎっているような村に、彼らは移されたのである。冷たい視線のなかで、食糧を買う金にも事欠き、彼らはついに持っていた衣類等を売って生活費に当てた。

 彼らはグループのなかで一人を選んで港のある煙台に派遣し、日本へ帰国する船を調達しようとした。二度目はまた別の人物を派遣して試みたが、船を調達するには、中共政府の許可なしでは全く不可能であることがはっきりと判ってきた。
 ここに至って万策尽き、全面降伏するしかないと判断した阿部は、中共政府に対して復職を嘆願する詫び状を認める。「解放地区に留まり、中国科学技術の躍進のために、専心努力申し上げたいので、復職を許可いただきたい」という趣旨の詫び状である。
 これで一件落着するはずであったが、阿部と井口の間の関係がいっそう悪化していたため、井口、笠原らが阿部を中共政府に密告するという事件があり、阿部は家宅捜索を受ける破目になった。

  以上が、第19回までのあらすじである。

文字サイズ
文字サイズはこちらでも変えられます


お知らせ | プライバシーポリシー | お問い合わせ



Copyright (C) 20072009 OralHistoryProject Ltd, All Rights Reserved.