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夜が明けて、窓の外をのぞくと海辺らしい。砂地に続くなにか灰色の大平原が横たわっている。海だ! 日本につながる海が目の前にあるのである。阿部夫人は、手で海水を汲んでは握り、汲んでは握りして泣いていたという。井口もまた、薄暗がりのなかに懐かしい磯の香りを鼻に感じて、「オオ、海だな!」と思わず独りでつぶやいた。 ところが、威海衛の方向を眺めていた彼らの頭上に、突然機音が響いた。偵察機らしい小型の飛行機が大きな円を描きながら、グングン高度を下げて来るではないか。2人は咄嗟に浜辺に伏せたが、この飛行機は大空を一巡したのち、何処ともなく飛び去って行った。偵察機はアメリカ製のP-51戦闘機で、井口は以前に北京の飛行場でこれに追いかけ回された苦い経験があった。 翌日の午後、2艘の発動機を付けた機帆船が沖合いに姿を現した。いずれも30トン足らずの漁船で、近くの島陰に碇泊した。そこまで行くための櫓船が用意され、まさに分乗を開始しようとしたとき、2機のP-51が上空に現れて急降下してきた。乗船しようとしていた人たちは雲の子を散らすように海辺をちりぢりに逃げた。 爆撃機は船を狙っていたようで、乗っていたら大変なことになっていたが、幸い犠牲者はいなかった。しかし、2艘の小船が大穴をあけられ使い物にならなくなっていた。残り3艘の小船を使って、全員が乗船を終えたのは夕方近かった。船は一向に碇を揚げようとしないが、暗くなるのを待って出発するのであろう。そうしているところへ、上空に爆撃機の轟音が聞えてきた。雲が低くて何も見えないが、陸地の方で爆音が起った。2発、3発と続けさまに起って、漁村に火の手があがった。草葺の木造家屋であるから、ひとたまりもなく、火勢は燃え広がって火の海となった。荷物を担いで逃げ惑う漁夫たちの姿が、影絵のように映し出された。 船上の人たちはそれを見ながら、もう半日乗船が遅れていたら、自分たちの命は失われていたかもしれないと、だれもが思わずにはいられなかった。 真夜中の12時近くなって、2艘の機帆船はようやく艫(とも)を連ねて動き出した。とうとう山東半島を離れるのである。阿部にとっても井口にとっても、この1年はたいへんな1年であった。さまざまな出来事が走馬灯のように駆けめぐったが、特に多くの後輩や弟子をこの山東行きに誘った阿部には、一向に消息も分からない彼らの身の上が案ぜられるのであった。 「悪夢にうなされ通した山東とも、いよいよお別れである。林家村その他に散在して居る日本人達は、一体此の戦況下にどうなって居る事であろう? 私達と同様に、戦陣に追われて海を渡って居るであろうか? それとも戦線に? 想は遠く同志の上に飛ぶ。」(阿部『招かれざる国賓』253頁) 船室内では李校長が、敵の巡視船に捕まったばあいの心得について訓辞をした。みんな、百姓、漁民、商人等の避難民に化けるように、変名・変装したうえ、言葉遣いに注意せよとのことである。 雨こそ降られなかったが、強風で大揺れに揺れる漆黒の海を、2艘の船は疾走した。激しい揺れで嘔吐する者が続出した。 「誰も口をきく者もなく、重苦しい空気が漲っていた。・・・時々エンジンのから回りの音が聞えてくる。敵の巡視船から放つ探照灯の光芒が、大波の波頭で交錯明滅している。 やがて、堪りかねたように、誰かがヘドを吐いた。それを合図のようにして、あちこちでウメキ声が起こり、はらわたを振り絞るような声をあげて、吐き始めた。受ける器物は何もないので、床はゲロで一杯である。船に弱い妻は、血を吐く思いで苦しんでいる。私は、ジット我慢しながら、風波による船の転覆を心配していた。」(井口「ダモーイ」第36回) しかし、幸いにして、全員が海中の藻屑と消えるような事態は起らなかった。しかも、強風で海が大荒れしたおかげで、巡視船に見つかることもなく済んだ。夜が白々と明けてきたころ、どうやら危険区域を突破したのか、船もスピードを落して走り出した。あれほど荒れ狂った海が、うそのように静かになっていた。 甲板に上がって、朝の陽の光を反射している海を眺めている井口のところに、李校長がやってきた。言葉を交わしているうちに、遥か彼方にかすかに陸地が見えはじめた。「あれが遼東半島ですよ、あの突端が大連港です。」と李が言った。 「私の心は、踊りあがった。そして青い大海原を見つめながら、はかり知ることの出来ない、運命の大きな力を感じた。」(「ダモーイ」第36回) 阿部は大連港到着を次のように記す。 「昭和22年9月26日、無事大連ロシヤ町埠頭に着いた。再び見まじと思った大連の港に、奇しくも舞いもどって来たのである。・・・ 大連の現状は、惨憺の二字に尽く。将に、廃墟である。」(『招かれざる国賓』254頁) |
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