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筒井重雄氏 第5回:7.解放連盟の学習会〜8.労農学校へ

7 解放連盟の学習会

――解放連盟では誰かが講義をするとか、集まって勉強会をするというようなことがあったわけですか。

 「みんなで集まっての学習会はしばしばありました。この会食に出たことがきっかけとなって、私は解放連盟の学習会に誘われるようになりました。しかし、私は出て行っても、黙ってこの人たちの学習している様子を傍観しているだけでした。ところがある日、ゲームをやるから私にも加われというので、言われるままに参加したのです。ゲームは、みんなで輪を作って、手ぬぐいを後ろ手に渡していくのですが、合図があったときに手ぬぐいを持っている人は、箱の中から紙を取り出して、そこに書いてあることを説明しなければいけないというものです。私が当たったとき引いた紙には「搾取とは」とありました。私は、「これは牛や山羊の乳をしぼることだ」と言ったのです。そうしたら、みんな大笑いしました。
 翌日また学習会に参加したら、「今日は、木暮さんが搾取ということで答えたことについて議論しよう」ということになりました。それぞれが、資本主義社会とは、資本家が労働者を雇って、少しの賃金だけやって後は自分で取ってしまうような社会の仕組みだ、といったことを異口同音に言いましたが、私は、資本家が労働者を使うのは当然だし、利益を自分のものにするのも当然で、なにもそれが悪いことではない、と言って納得しませんでした。
 その翌日、『無産者講話』と『階級闘争の必然性とその必然的転化』という本を渡されました。著者はたしか野坂参三氏だったと思います。私は昨日の議論で、自分の意見が随分叩かれたので、なんとかやり返してやろうと、その2冊の本を初めから終わりまで何回も繰り返し読んだのです。そして、読めば読むほど、自分の考えが間違いであると思うようになりました。」


『無産者講話』と『階級闘争の必然性とその必然的転化』
 筒井さんは、この2冊の書名をはっきり記憶されていたが、著者についてはちょっとはっきりしないとおっしゃられた。『階級闘争の必然性とその必然的転化』は河上肇の著作であることは間違いないと思われる。『無産者講話』は後日国会図書館の目録を検索したところ、この書名では山川均の著作だけが上がってきた。

 「夜の学習会に参加するようになって、解放連盟の人たちが何をやっているかということも、だんだん分かってきました。この一帯で活動する解放連盟の人たちは、山東地区のなかの魯中支部を結成していました。彼らは日本軍の最前線にある望楼(トーチカ)の近くに夜出かけて行き、メガフォンを使って日本兵へ反戦の呼びかけを行うのが主な仕事なのです。そのために、昼間は慰問袋を作って、その中に石鹸とかタオルといった日用品を入れたり、兵士に配るビラを書いたりしているのです。
 そして、こうした活動が中国各地で行われていて、その最高指導者に岡野進(野坂参三の中国で用いた名前)という人がいるということも分かってきました。そういえば、捕まってここまで連行されてくる途中、通訳の兵士が、「一番偉い人は岡野進です」と言っていたのもそういうことだったのかと分かってきました。
 我々がこの戦争に参加したのは、祖国日本のため、東洋平和のためと思ってきたが、どうも裏では、大資本家が軍隊を利用して、大きな富を得ようとしているのではないか、我々は何も知らないで、ただ利用されているだけではないか。それに引き換え、八路軍の態度は徹底しているではないか。この戦争は一部分の資本家と軍部が結託して起こした侵略戦争で、日本の兵士も我々中国の兵士と同じように被害者であると。だから、彼らは日本兵の捕虜を捕まえても決して殺さないし、現に私に対しても小麦粉の食事を作ってくれたではないか。――私の中でなにか大きく変わっていくのが感じられるようになりました。

 そんなある日、小島さんから、「木暮さんはどうも言うことと実行することとが一致しないのですが、気持ちに何かあるのではないですか」と言われたのです。確かに私は、彼らの言うことが正しいと思うようになってきていたのですが、これまでの議論からして、素直に屈服できないという感情が一方にあって、彼らともなかなか打ち解けることができませんでした。
 小島さんは、「人間誰も過ちを犯すことがあります。大切なのはその過ちを大胆に皆の前で認めることですよ」と言いました。更にこんなことも言いました。「知らずに悪いことをする人と、知っていて悪いことをする人がいます。侵略戦争と知ってやる人と、知らないで参加する人がいます。私も最初は知りませんでした。木暮さんも同じでしょう。手を取り合って一緒にやりませんか。」
 溺れる者は藁をも摑む、と言いますが、本当に嬉しかったです。私は小島さんの手を握りしめて、「本当に済みませんでした。皆さんに迷惑をかけました」と言っているうちに、とめどなく涙が流れてきました。そして、その晩の会では、私のことが報告され、私も立ってみんなの前で自分の気持ちを話しました。みんな非常に喜んでくれました。なかには、「私も捕虜になってから気持ちが変わるまで苦労しましたよ」と自分の体験を話してくれる人もいました。
 だいぶ後のことですけれども、仲間の連中から、「木暮さんは軍隊に志願して、軍人精神が非常に強固な人間だけど、そのわりに早くひっくり返ってこっちの考え方になってしまったですね」と笑われたことがあります。私は単純なのかなあ、一つ方向を決めたら、もう何が何でもその方向に行くというような性格だから、そうなったのかなあと思いましたね。」


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