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![]() 通化暴動 通化に進駐したソ連軍は45年11月にはすべて撤退し、そのあと通化の政治主導権を握ったのは共産党・八路軍であった。ここにはソ連軍の侵入で北から追われた日本人がたくさん流れ込んでいて、そのなかに関東軍の残留将校や旧満州国の元官吏も多数混じっていた。この残留将校や元官吏たちが中国国民党の特務と組み、政権を握っている共産党・八路軍を転覆させようと秘かに武装蜂起を計画したのが、46年2月3日の通化暴動である。中心人物は元関東軍の藤田実彦大佐であった。 日本人の一般居留民のなかにも暴動に参加しようとした者がいた。しかし、計画は直前に発覚し徹底的に弾圧された。戦後の中国で日本人が関わった事件としては最大のもので、このとき民間人も含めて日本人千数百名が命を落としたといわれる。 ![]() ![]()
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