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  私は参謀部の電報班に行って、そこで暗号の仕事をしましたが、1941年1月20日、南京の第3飛行集団司令部に転属してからも、やはり暗号の仕事でした。
  満洲には第2飛行集団があり、中国には第3飛行集団がありましたが、戦争開始の準備で、満洲の飛行部隊は第3飛行集団の指揮下に入れということになり、飛行機が満洲から南京などへどんどん南下してきていました。

  ここに私の当時の履歴を書いた写しがありますが、私は1941年11月15日、電報班の先遣部隊として南京を出発し、12月5日サイゴン到着、6日プノンペン到着となっています。私がプノンペンに着いた12月6日には、すでに太平洋戦争開戦の暗号電報が来ていました。この暗号電報はかなり前に着いていたようです。開戦日の決定を知らせる暗号電報というのはこういう内容です。

  1、 大陸命第56号「ワシ」発令あらせらる
  2、「ヒノデ」は「ヤマガタ」とす
  3、御稜威(みいつ)の下、切に成功を祈る
  4、本電報受領せば第二項のみ復唱電あり度

――これは電報班の人が見ればどういう内容かすぐわかるものなのですか。

  いや、そんなことはありません。相当上の人しかわかりません。戦後にある人が書いたものを見ると、この電文は瀬島龍三少佐が起案したというのです。しかし、瀬島さんは少佐でしょう。こういう重大な電文が少佐クラスの人によって起案されるというのは、私にはちょっと信じがたい感じがするのですけれども。それはともかく、「ヒノデ」は「作戦開始時」を指し、「ヤマガタ」は「12月8日」を指す暗号だというのです。
  こういう電報はみな「ウナ」(至急電報)「ニカ」(親展電報)で来ます。私が南京を発つ前ですが、この種の電報が次から次へと来て、読み解くのにてんてこ舞いをしていました。「ニカ」は下士官以上でなければ取り扱いができなかったのですが、このときは無茶苦茶に忙しいものですから、僕らも手助けしながら電文を起こしました。そのときに、こういう「ヒノデはヤマガタとす」というような訳のわからない電報が来るので、これでいいのかどうか心配になり参謀長のところへ持って行きました。そうしたら、参謀長は「よしよし、これでいいんだ」と言っていたのが思い出されます。
  東南アジアへは先遣部隊として行きましたから、人数は少数です。それで、正にアメリカとの開戦というときですから、電報班は文字通り夜も寝る間がないほど忙しい日が続きました。寝台なんかに入ることは出来ないのです。机に凭れてうとうとするのが精一杯でした。なかには、トイレへ行くと言って立ち上がったところ、睡眠不足でばたっと倒れてしまった者もいました。そういう状況で戦争がはじまりました。


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